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東京地方裁判所 昭和36年(行)103号 判決

原告 堀田昌男 外二名

被告 郵政大臣

訴訟代理人 松崎康夫 外三名

主文

一、原告等の請求をいずれも棄却する。

二、訴訟費用は、原告等の負担とする。

申  立 〈省略〉

主  張 〈省略〉

証  拠 〈省略〉

判  断

電信電話事業は、かつて逓信省において郵便事業と共に統一的に運営されて来たものであるが、昭和二四年、逓信省が郵政省と電気逓信省とに分離するに際し、電信電話事業は電気通信省の所掌するところとなつた。しかし、そのすべてを電気通信省で直轄して行うことには経営上の不便さがあつたので、おゝむね大規模な郵便局(いわゆる普通局)の取扱業務は、電気通信省の直営に移すけれども、小規模の郵便局(いわゆる特定局)の取扱業務は、従前どおり郵便事業と共に郵政省で総合的に運営することとされ、電気通信省から郵政省に委託するという形態が採用された。昭和二七年になつて、電気通信省の後身として電々公社の発足を見た後も、右の経営形態は引き継がれ郵政省と電々公社間の電信電話業務の委託関係は、昭和二七年に締結された「公衆電気通信業務の委託に関する郵政省及び日本電信電話公社間基本協定」(以下単に「基本協定」という。)を基本としてその他の多数の協定によつて規律されて来た。そして、電々公社としては、昭和二七年発足後、直ちに電話施設の復旧拡充に力を注ぎ、昭和二八年を初年度とする電信電話拡充第一次五ケ年計画を樹立遂行した結果、相当の成果を挙げることができたので、昭和三二年七月引き続いて昭和三三年を初年度とする第二次五ケ年計画を樹立して実行に着手した。ところが、昭和三四年になると、予想以上に電話の需要が増大したため、その計画を拡大修正すると同時に、資金面についても「電信電話設備の拡充のための暫定措置に関する法律」(昭和三五年法律第六四号、同年四月二八日施行)の特別立法がなされたものであつて、この法律の有効期限である昭和四七年度末には、電話は申込と同時に遅滞なく架設されると共に、市外通話はすべて即時通話の状態に達することを目標とした長期計画も定められ、着々とその計画が実行に移されている。このような電話拡充計画の実施に伴つて、各地の郵便局の電気通信施設の改廃を生ずる結果となるのであるが、その内、郵政省の電話業務に対して影響を与えるものとしては、

(1)  電々公社による直営化

(a)  自動改式直営化

(b)  現方式直営化

(2)  電話加入区域の合併

(a)  集中合併

(b)  従局合併

(ア) 自動従局合併

(イ) 手動従局合併

(3)  市外集中化

等の方式がある。

電々公社では、前記第二次五ケ年計画において、局舎行き詰り局を解消し、電話架設不可能都市をなくすことを目標に、電話加入者数ならびにその申込需要者数の多い局および市外電話回線構成上の上位局について、優先的に局舎建設の方針を樹立してその実行に着手してきた。本件で問題となつた上市局は明治四三年三月に現在の郵便局の局舎で電話交換の業務を開始し、同じく下市局は、同年二月電話交換の業務を開始し、その後局舎狭隘のため、昭和二五年八月六日現在の郵便局の局舎に移転したものであるが、いずれもこれ以上交換台を増加することが不可能となつて、需要の積滞数は、年を追つて増加する一方であり、又、上市・下市両局は、奈良県吉野郡の咽喉部を扼する位置を占め、その奥地の各局はすべて両局を中継することになるので、市外電話回線構成上の上位局に該当するものであつたところ、奥地における加入者の増加と共に市外電話は輻輳を極めていたにも拘らず、市外交換台の増設不能のために、市外電話線の増設対策を講ずることさえできない状態であつた。このため、地元下市町・大淀町各当局や各種団体等から、電々公社に対して自動改式の促進方について熱烈な要望も提出されていた。そこで電々公社としては、従前の上市郵便局の電話施設に附近の吉野・中荘、竜門各郵便局の電話施設を集中合併の上自動改式直営化すると共に上市局の電報配達業務を直営化してこれに六田局の電報配達業務をも統合することにし、又、下市局関係としては、従来の下市郵便局の電話施設を自動改式直営化すると共に下市局と下淵局の電報配達業務を総合直営化する方針を立てた。電々公社は右の方針に従つて、昭和三四年度から吉野電報電話局(上市関係)及び下市電報電話局の各新局舎の建設に着し、昭和三五年一一月上旬に、いずれもその局舎の完成を見るに至つた。

以上の点については、原告の明らかに争わないところであるから、これを自白したものとみなす。

成立に争いのない乙第五・六・七号証、第一四号証の一・二原本の存在と共にその成立について争いのない乙第一六号証、証人魚津茂晴の第一回の証言によつて真正に成立の認められる乙第一三号証、証人高柳常雄、魚津茂晴(第一回)・北原安定の各証言、原告田端康成本人の供述に、弁論の全趣旨を総合すると、

前述のような電信電話事業の合理化による全国各地における施設の改廃に伴つて、郵政省の管轄下にある郵便局においては、大量の余剰人員が発生することになるので、郵政省としては、職員の解雇という方法はとらず、余乗人員の電々公社への転出及び部内における配置転換等の方法によつて円満に解決しようと考え、昭和三一年四月、電々公社との間で「公衆電気通信施設の改廃に伴つて生ずる郵政省職員の過員についての郵政省及び日本電信電話公社間協定」を締結する等の方策を講じ、過剰人員が電々公社へ転出できるようにすると同時に、転出によつて職員が不利益を受けないような配慮もなされた。

電通合理化に対して、全逓は、当初の頃さしたる動を見せていなかつたが、施設拡充第二次五ケ年計画が樹立された後である昭和三五年になると、同年七月九日から五日間山形県上ノ山市において開催された全逓の第一二回全国大会において、一九六〇年度における主要な斗争方針として、「合理化反対、首切り並びに配転の阻止、勤務時間短縮」の目標を掲げ、その目的達成のために「事前協議制」を確立する必要があると宣言した。そして右の全国大会の方針に従つて、昭和三五年九月二〇・二一日開催された全逓の第二二回中央委員会において事前協議制としての要求事項を次のように具体化し、これを郵政大臣に提出して、即時労働協約として締結することを要求した。即ち、

一、省は、電々公社の計画に基いて電々公社から郵政に委託されている業務に改変がなされる場合は、当該委託関係職員の労働条件に影響を及ぼすので、その実施に伴う労働条件については、すべて団体交渉事項であることを確認し郵政省と全逓との間において事前に協議決定した上で実施するものとする。

二、省は、電々公社と協議し、委託事業に関係ある合理化計画およびこれに基く要員計画等をつぎの時期までに組合に提示するものとする。

1  具体的実施計画は、少くとも実施予定の六ケ月前までに関係資料を付して提示すること。

2  年度の実施計画の大綱をその一年前までに提示すること。

3  第三次、第四次五ケ年計画にもり込まれる委託関係合理化の大綱方針を、なるべく速かに電々公社と協議して提出すること。

4  なお、これらに関連する組合の要求する資料についても遅滞なく提示すること。

三、省は、電々委託事業の合理化を推進するにあたり、基本的に次の方針を確認する。

1  首切りは絶対に行わないこと(非常勤職員、臨時補充員を含む)。

2  本人の意思に反した一方的強制配点は行わないこと。

3  労働条件の切下げは絶対行わないこと。

4  郵政に残る職員は、自動的に郵政職員に組み入れ、郵政事業の積極的な労働条件の引き上げに充当すること。

なお、具体的な実施方針については、年度毎に労使間において協議決定するものとする。

四、実施計画に伴つて生ずる場合の職種転換、配置転換に対する処遇、再訓練等については、別途前項の基本方針に基いて統一的基準を決定する。

五、前記各項の原則に基き、計画実施に伴う具体的な協議決定は、当該全逓各地方本部対各地方郵便局および全逓各支部対各郵便局長に委譲する。

但し、労使双方が紛争処理上中央に上移せしめて解決することが適当と認めた場合は、中央で協議決定するものとする。

というものであつた。

右の事前協議制確立の要求に対しては、郵政省と全逓との間で何回か団体交渉が持たれたが、郵政省側は、右の事前協議制というものは、要するに、委託業務の改変については、予め郵政省と全逓との協議の成立をまつて、はじめて実施に移すことができるというものであり、このような事前協議制は、公共企業体等労働関係法(以下「公労法」という。)所定の団体交渉事項に該当しないものであつて、郵政省の管理運営すべき事項に容喙するものに外ならないから、公労法上許されないものであるとして、全逓の要求を全面的に拒否するに至つた。

一方、電々公社は、昭和三五年一一月頃吉野及び下市電報電話局の建築工事が完成する予定であつたので、昭和三五年九月頃に自動改式実施に関する大綱を決定し、工事完成の同年一一月七日には、新方式による業務開始の日を昭和三六年三月一九日午前零時と決定した。これに伴つて、郵政省側においても、電々公社に転出する職員の事前訓練や転出後の待遇等について電々公社と打合をしたり、転出予定者に意向調書を提出させたりしていたが、当時全逓奈良地区下市支部(下市郵便局関係)及び南和支部(上市郵便局関係)は、所属組合員の電々公社転出に対して反対の立場をとつておらず、却つて、電通関係職員は、非常勤職員を含めて全員が電々公社に転出できるよう取り扱うこと等を要求していた関係上、郵政省が、昭和三五年一二月二二日、転出意向調書を提出していた者に対して電々公社へ転出のための辞職願を提出するように求めたところ、同月二八日までに上市郵便局関係分五二通、昭和三六年一月一〇日までに下市郵便局関係分四七通、同月一八日までにその他の郵便局関係分一一通の計一一〇通が提出され、この転出希望者は、全員電々公社において改めて採用する予定となつていた。

ところが、事前協議制の締結を拒否された全逓は、昭和三六年一月下旬頃から、宝樹委員長を始め中央執行委員をしていた原告田端その他多数の役員が現地に乗り込み、「全逓と郵政省の間で事前協議協定を結ばない限り、電通合理化に伴う五万名に及ぶ電話交換手等の身分を守ることはできなくなる。従つて、協定締結のための戦術として、自動改式になつても郵政省に居残る斗争をするよう決定されているから、既に提出した辞表を撤回しなければならない。」と強力に説得すると共に、上市・下市の電通合理化に反対するために、関西合対本部等をも設置して着々と斗争態勢を固める勢力を進めたので、辞表を提出した組合員は、皆当局に対して辞表撤回の申出をすると共に、全逓の斗争に協力する姿勢を示すようになつた。そして、同年二月九日から三日間、山口市において全逓の第二三回中央委員会が開催されて、昭和三六年度春期斗争の方針が討議決定され、その結果、同月一八日発出された斗争指令第一四号によると、今次春斗の主要目標を、(1) 電通合理化反対・事前協議制の獲得、(2) 大巾賃上げ・最低賃金制の獲得、(3) 非常勤の完全本務化、(4) ILO条約八七号・一〇五号の批准・公労法改悪反対・スト権奪還、に置き、ストライキ体制をもつて官側と対決することとし、中でも、春斗最大の柱は、電通合理化反対斗争であると規定し、「各支部は、ただちに合理化に関する事前協議協約獲得斗争に突入せよ。各地区本部は、電通合理化対象局十局を設定し、二月二五日以降集団動員交渉等をもつて、前記確認書獲得斗争に全力をかたむけて突入せよ。各級機関は、三月一日以降三六協定の無協定戦術に突入せよ。」等と指令した。

更に、全逓は、第一〇回全国戦術会議を開催して、同年三月九日斗争第一九号を発し、「郵政省側は、上市・下市両局の改式を橋頭堡として、全逓の行つている合理化反対斗争に対して決戦を挑もうとするものであり、大阪郵政局の人事部をあげて上市・下市の現地に集中し、加えて、本省及び全郵政局の係官をも大量に現地に動員して、必死の切り崩し工作を行おうとしていると同時に、電々公社側としても、着々改式準備を進めており、万難を排してでも切換を強行する腹で、最悪の場合は、周辺局の管理者や私設交換台の経験者をも動員して、改式後の通話の疎通を図ろうとしている。これらの情勢を分析すると、上市・下市の改式阻止の斗いは、正に天目山的様相を呈してきたということができる。したがつて、中央斗争委員会は、この時点における斗いを契機として、斗争態勢を全国的規模に発展させ、更にこれを将来にむかつて拡大する必要があると判断した。よつて、(一)、三月一八日各級機関は、勤務時間内一時間喰い込みの職場大会を実施せよ。(二)、各地方本部は、地区本部以上の専従役員二名をえらんで、三月一二日、南和労働会館に必ず到着するよう派遣せよ。(三)、各地区本部は、オルグを三月一六日、南和労働会館必着を期して派遣せよ。(四)関西合対本部は、前記オルグの外、近畿地本内からの部内動員者五〇〇名、総評関係動者員五〇〇名の受入態勢を確立せよ。(五)、関西合対本部は、上市・下市の改式を阻止するため、前記動員者によつてピケをはる等、あらゆる形で抵抗行動を組織せよ。(六)、これらの斗争段階で官側の行つてくるであろう局舎への出入禁止・組合事務室閉鎖については、すべて実力で阻止せよ。」と指令して、上市・下市の改式阻止のための強力な斗争態勢を着々と確立していつた。

このため、郵政省としては、昭和三六年三月一一日付で、大臣名義の全逓あての警告書を発し、「今次のいわゆる春期斗争の組合の違法な斗争計画に対しては、さきに厳重な申入を行つたにも拘らず、組合は、電通合理化反対斗争と称し、全国各地で合理化のための切替工事阻止の斗争を行つており、あまつさえ、奈良県上市・下市郵便局等の自動改式を実力をもつて阻止せんとし、のみならず、三月一八日には電話交換業務を取り扱う郵便局三一七局を選定して、勤務時間内一時間の職場大会を実施することとしているが、まことに遺憾に堪えないところである。電気通信合理化計画は、国民の切実なる要望にこたえ、社会の発展・技術の向上革新に即応して当然に行うべくして実施しているのであり、それが円滑に実施されるかぎり、組合が合理化反対の理由としている人員整理に結びつくものでもなく、労働条件の低下を招来するものでもない。しかも、省としては、合理化に伴う労働条件については、組合と誠意をもつて話し合つているところである。しかるに、組合は、いたずらに反対斗争を行ない違法な実力行使によつて合理化の阻止をはからんとしているのであるが、まことに理不尽な行為といわざるを得ない。組合が、あえてかかる違法・無謀な斗争を行うにおいては、省としては、その責任者・指導者等については、法規の命ずるとおりの厳格な処分をもつて臨むとともに、参加者全員に対しても戒告以上の処分を行うものであることをここに明らかにし、組合が良識をもつて実力行使を即時取りやめるよう申し入れるとともに、重ねて警告する。」として、上市・下市局の自動改式阻止の斗争を止めるよう強く要求する一方、全逓の改式阻止斗争に対する対応策を検討し、対策本部を設けて大阪郵政局管内の管理職等多数を現地に派遣し、電々公社の行う自動改式への切換作業が円滑に行われるよう側面から援助することとなつていた。

元来、手動式の電話交換を自動式に切り換えるには、従来使用している手動式交換台の電流を切断して新しい自動式の交換機の方に流すように切換作業を行うのであるが、通話中の電話が中断しないよう、瞬時に切換作業を終る必要があり、そのためには、閉鎖する交換機のある郵便局(いわゆる旧局)の建物の中に電々公社の職員が入つて、新しく開局する電報電話局との間で連絡を取りながら切換作業を行うのが最も普通の方法であるが、当時、全逓が旧局に対する電々公社職員の入局を実力をもつて阻止するという状況にあつたため、電々公社近畿電気通信局の副局長であつた北原安定は、電々公社の職員が旧局に入局出来ないような最悪の場合を考慮した結果、極秘裡に、新局だけで自動改式のための切換作業が可能な方法を考案し、相当多額の費用を投じて、右の方法による切換作業に必要な特殊な工事を進めていた。

他方上市・下市の地元民は、吉野・下市各電報電話局の完成を喜び、特に下市では、歓迎アーチまで作つて祝福していたけれども、全逓が自動改式を実力をもつて阻止する態勢にあることを知つて驚き、各町村の議会や商工団体或いは婦人団体までが、自動改式が予定どおり実施されるようにと決議をしたり、要請をしたりして、その決議文や要請書を郵政省や大阪郵政局に提出すると共に、全逓が入つて来た場合には、全逓の関係者には宿舎等を提供しないようにしようという方向さえ打ち出していたのであつた。

全逓は、地元民のこのような態度に苦慮し、又、当時下市局では、加入者から「通話の応答が遅い。」という苦情が多く持ち込まれ、これは合理化反対斗争と関連して組合が意識的に通話を遅らせているのではないかという言い方がされて、組合が非難の矢面に立たされていた関係上、通話の応答遅延は、「(イ)交換台が旧式であること、(ロ)ある時間帯に通話が甚しく輻輳すること、感冒の慢延によつて欠勤者が続出していること、(ハ)加入者の殆んどが番号を呼ばずに屋号で呼ぶ。」等の理由によるものであつて、その責任は、あげて官側の責任であつて組合の責任ではないということを、地元民に訴えることとしたのであるが、右組合の主張する応答遅延に対する弁解は、電通合理化を促進するための理由とはなり得ても、合理化に反対する理由とならないものであつて、上市・下市の自動改式に反対すべき理由は、殆んど見出すことのできないものであつた。

と認定することができ、右認定に反する証拠はない。

〈証拠省略〉を総合すると、

全逓は、組織内外の多数の動員者をもつて、上市・下市局の自動改式を実力で阻止する構を見せ、全逓本部から高柳常雄副委員長・中央執行委員の原告堀田及び原告田端を、近畿地方本部委員長の原告槇野を(原告堀田及び田端が中央執行委員で、原告槇野が近畿地方本部委員長であることは当事者間に争いがない。)現地に派遣し、上市・下市における電通合理化反対斗争の最高本部として、中央・地方・地区一本の「関西合対本部」を結成し、原告槇野はその副本部長、原告堀田は上市局関係組織ならびに行動担当の責任者、原告田端は下市局関係組織ならびに行動担当の責任者となり、昭和三六年三月一二日頃から陸続として全国各地より参集した動員者を、中隊・小隊等に分けて中隊長・小隊長等の責企者も定め、その抵抗行動を組織化するに至つた。

このため、郵政省及び電々公社は、三月一一日になると、当初同月一九日午前零時に予定していた切換時期を、夜間であるから如何なる事態が発生するかも計り難いとして、同月一八日午前三時半と変更した。

郵政省側としては、全逓の斗争態勢に対処するために、同月一六日頃までに、大阪郵政局を中心に管理職等約一二〇名を現地に派遣し、その内約七〇名を下市郵便局関係に、残りの約五〇名を上市郵便局関係に配置し、これを局内班・局外班・記録班等に分け、局内班は、郵便局内にあつて局内への部外者の無断侵入を防ぎ、正常な業務の進行を維持し、庁舎管理権を確保するという目的を持ち、局外班は、切換時に、電々公社の職員を旧局に先導入局させて、円滑な切換作業の実施を援助するものとし、記録班は、全逓の行動を含めてあらゆる出来ごとの記録、特に全逓の役員動員者の不法な行為の記録をとるというものであつた。そして、切換のための作業隊が全逓のピケ隊によつて下市局に入局できないときは、場合によつては警官隊の導入を要請し、警官隊によるピケの排除もあり得ると予定し、警察関係者とも何度か打合せを行つていた。

一方、電々公社としては、新局における切換のための特殊な工事を行つて、三月一三日頃これが完成を見ていたが、全国何千とある自動未改式の局の改式について、一々新局における切換のための特殊工事をするには厖大な費用を要し、又特殊の工事全体を全逓より阻止された場合には如何ともし難いという立場から、飽くまで旧局における切換を第一義と考えると同時に、近畿電気通信局管内の各地の電報電話局から、約一〇〇名の管理職を穏密裡に現地に召集した上、吉野電報電話局に約七〇名、下市電報電話局に約三〇名を配置し、交換サービス要員・保守要員その他に賄夫まで入れて、いざというときの籠城態勢をも敷いていた。

下市郵便局においては、昭和三六年三月一六日には、郵政省の局内班員が中に入つていて、郵便局の管理者達と一緒に部外者の立入を禁止していたのであるが、原告田端は、管理者側の制止や文書・口頭による再三の退去命令を無視して局舎に出入しており、局内班員が、写真機を持つて電話交換室に入り込んだ上交換手に鉢巻をさせたりして写真を撮つていた写真屋を、局外に退去して貰つたところ、原告田端は、管理者側に対して、「何故追い出したか。」と云つて激しい抗議をしたりしていた。一七日の日も、朝から全逓の動員者多数が、郵便局側の制止にも拘らず多数局内に出入していたが午前一一時頃には二、三百名の動員者によつて局舎周辺にピケが張られ、大阪郵政局の係官達が局内に入ろうとするのを阻止し、午後二時頃には、手拭で顔をかくした者約一〇名位が、喚声を上げながら交換室の分線盤付近になだれ込んだりした上、黄色の腕章をつけていた郵政局側の係官に「出て行け。」とどなつたりしていた。そして、原告槇野及び同田端等は局舎周辺のピケ隊の前に立つて演説を始め、応援をして貰つたことに対する感謝の気持を表明すると共に、斗争の経過を説明し、切換当日の一八日には、このような態勢で絶対に切換を阻止しなければならないと強調していた。当時、地元民は、全逓の斗争に反対の立場をとり、動員者に対する宿舎の提供を拒否する方向にあつたので、動員者達は、戸外で火を燃したりして夜を過ごすという有様であつたが、三月一七日午后一時頃には、区民代表数人が郵便局にやつてきて、原告槇野等に面会し、「郵便局の横にある神社の鳥居前の道路は組合の道路か、組合が通さないとは何事か、若し通さないのであれば、私の方は町民挙げて力づくでも排除して見せる。」等と抗議を受けたため、原告槇野等は、「黄色の腕章をつけた郵政局側の者だけを通さないのであつて、町の人々は自由に通つて下さい。」と極力弁解していた。翌一八日になると、全逓が動員した全逓内外の動員者の数は益々増大して、正午頃には約六〇〇名にふくれ上り、局舎内にも全逓の動員者が乱入して交換室やその周辺に坐り込み、又、交換室に昇る階段やその通路にも一杯動員者が坐り込んだりしたため、人の出入は殆んど出来なくなり、郵便局の管理者側は、身動きもできない有様で全く手の施しようがなかつた。その間、原告田端は、時々局内に出たり入つたりしながら、その都度動員者等に何か者命令したり、指示を与えたりしていた。局外のピケ隊は、タオルで顔をかくした上にヘルメツトを冠つた者が相当多数居並び、腰に引き抜き防止のための荒繩を結び、約二米位の青竹を横に倒して数人で構えた者が、何組か前面に立ち、電々公社の職員等が切換作業のために入局しようとするのを阻止しようと手ぐすねひいて待ち構えていた。同日午後二時頃、電々公社側係官一五名及び郵政省側五名計二〇名の切換作業隊が、切換工事実施のため下市郵便局に入局しようと隊列を組んで進行していつたところ、局前のピケ隊は、青竹を横にかまえ、スクラムを組んで切換作業隊を一歩も中に入れようとせず、原告田端は、ピケ隊の前面にあつてその指揮をとり、作業隊が、切換作業のために入局するから入口を開けて通すように要求したけれども、これを拒否した。作業隊は、これでは入局不可能であると判断して一旦その場を引き揚げ、午後二時四〇分過ぎ頃になると、再び入局しようと局前に進んで行つたが前回同様ピケ隊に押し返されて余儀なく引き返し、更に午後三時一五分頃又もや入局しようと郵便局目がけて進行して行つたが、これも前同様三度ピケ隊に入局を阻止されてしまつた。

又、上市郵便局においては、三月一五・六日頃から、郵便局の管理職及び大阪郵政局の局内班員が、上市局の職員以外の者の局内立入を禁止し、一六日の早朝には、局の各所に、職員以外の者の入局を禁止する旨の木札を立てたり、貼紙をしたりしておいたが、原告堀田等全逓の役員は、これを無視して局内に出入していた。上市局は、明治二七・八年頃建築された非常に老朽した建物で多数の者が二階の交換室にあがるようなことがあると、非常に危険である旨の建築士の鑑定も出されていたので、郵便局の管理者は、上市局の二階に動員者が上らないようにという内容の申入を、関西合対本部の副委員長である原告槇野・地区支部長・地元分会長あてに作成したものを、同月一七日原告堀田及び河合分会長に手交しておいた。同日の午前中から、動員者が次第に上市局の前に集まり、原告堀田等の下にピケを張り、郵政局側の係官が午前一〇時四〇分頃から何回か局舎内に入局しようとしたのを、スクラムを組んで押し戻して入局を阻止し、全逓側の行動小隊長をしていた山本弘文は、郵政省の横尾修一事務官が持つていた、切換作業隊の人選・形態や集合時刻・集合場所等を記載してあるノートを奪い取り、後刻記載部分を破り取つたものを原告堀田が返したこともあり、又、郵政局の係官が入局しようとした時、ピケ隊に押されたため、大阪郵政局の宗足管理課長が傍にあつた自転車と共に横倒しとなつたこともあつた。そして、同日八時前頃には、ピケ隊の中の一人が、携帯マイクで「これから上市局の自転車置場に突入せよ。」と指示し、郵政局の係官が通用門のところでこれを阻止しようとしたよれども、ワツシヨイ、ワツシヨイの掛け声と共に多数の者が一挙に押し込んで来て、またたく間に自転車置場を占拠し、火鉢や炭俵を持ち込んで火を起し、これで暖を取つたりしていた。この突入の際、大阪郵政局保険部の酒井外務課長が転倒して擦過傷を受けたこともあつた。このため角田上市局長代理と全逓の秋山中央執行委員と話し合つた結果、これ以上動員者を中に入れないということでその場は一時おさまつた。一七日夜は、全逓の動員者達は、戸外や河原で夜を過したが、翌一八日になると、各地から参集して来た動員者等が、原告堀田等の指揮で局舎周辺にピケを張り、だんだんとその数も増大して行つた。そして午前一一時三〇分頃になると、原告槇野は、上市局前の道路上において、マイクを利用してピケ隊に向い、「私がこの斗争の責任者である。中央決議は決裂した。決意を新たにして突入あるのみである。」等と激励していた。午後一時頃になると、動員者の数は約四〇〇名にふくれ上り、間もなく、原告堀田が、「職場班は入局して下さい。」「郵政局管理者を退去させる行動に移つて下さい。」等とマイクで指示し、更に、「全国オルグの皆さんは、分線盤室に入つて下さい。」と命令を下したので、午後一時三分頃、八、九〇名前後の動員者が、管理者側の制止を押し切つて喚声をあげながら局舎内に乱入し、二階の電話交換室等を占拠してしまつた。角田局長代理は、秋山中央委員と再度交渉した結果、二階は約五〇名の動員者で占め、後は二列縦隊で狭い道路に並んだり、裏庭に入つたりしていた。ところが、午后一時二〇分頃になると、動員者達が、切換作業とは関係のない階下の郵便事務室に入つて来ようとしたので、郵政局の係官がこれを阻止しようとしたけれども、多数でどつとばかりになだれ込むと、管理者側を取り囲んでワツシヨイ、ワツシヨイと掛け声をかけながら強烈な渦巻デモをやり始めた。間もなくすると、郵便事務室に乱入した動員者達は、「黄色い腕章をつけたやつは局内にいる必要はない。放り出せ。」と叫ぶや、大阪郵政局の森本監査課長(当時)や橋本労働係長を掴えて振り廻し、突き飛ばし、何回か押し倒したりしたため、橋本労働係長は隣室の公衆室に頭を向けてぶつ倒れ、森本監査課長は、局前の道路に放り出されてしまつた(後刻医者に診察してもらつたところ、両名共全治三日間位の打撲傷を受け、その後いずれも数日間役所を休んだものであつた。)。そうこうするうち牛後二時三〇分頃になると、電々公社の切換作業員一二名及び郵政局側七名の合計一九名の者が、切換作業のため入局する目的で、四列縦隊になつて上市局の方に進んで行くと、ピケ隊は、スクラムを組んで入局阻止の態勢をとつて切換作業隊を押し返したので、作業隊は、一旦その場を引き下り、午後二時五〇分頃再び入局を試み、マイクで、「公務の執行を防害するな通してくれ。」と何回となく呼びかけたが、前回同様押し返されてしまつた。更に午後三時過ぎになると、作業隊は、三度入局を求め、隊列を組んで進んで行つたが、これもピケ隊に阻止されてしまい、郵政局の柏木課長補佐(当時人事部管理課の)が、ピケ隊の前面に居た原告槇野に向つて、「切換工事を実施するために電々公社の者を案内せにやならんのだから、道をあけてくれ、とにかく局舎に入るんだからピケを解いてくれ。」と云つたのに対して、原告槇野は、「話合をしないでこういうことをやるのはいけない。こういう状態になつたのはあんた方の責任だ。」と云つて拒否してしまい、作業隊は元来た道を引き返さざるを得なかつた。

以上のような関係で、上市局においても下市局においても、切換作業隊が局舎に入局できず、従つて、電々公社が当初予定した旧局における切換作業は完全に不可能となるに至つたので、電々公社は、結局、新局における切換に予定を変更し、上市局においては一八日の午後三時三〇分から午後四時までの間に、下市局においては午後三時五〇分頃までには、切換作業が完了してしまい、新局で切換作業のできなかつた吉野郵便局及び竜門郵便局においては、切換予定時までには、ピケ隊が全部引き揚げてしまつたため、何の防害もなく定時に旧局における切換作業が終り、又、同じく新局切換のできない奈良市に行く市外回線は、下市郵便局から僅か五・六〇米離れていた電柱の上で何の防害もなく、無事に切換作業が完了したのであつた。

なお、全逓は、上市・下市の自動改式阻止斗争が終つて間もなくして、郵政省と折渉した結果、昭和三六年六月一四日、事前協議制の獲得斗争をあきらめ、電通合理化に賛成する趣旨の相当譲歩した労働協約を締結するに至つている。

と認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

そうして、被告郵政大臣は、郵政省の職員であつた原告等に対し、「原告等は、さきに全逓の指導者として業務の正常な運営を阻害したため、懲戒処分に付されて将来をいましめられていたものであるが、昭和三六年中電通合理化反対のための斗争と称して違法な斗争計画に参加し、実行指令を発し、自らも奈良県上市及び下市郵便局に赴いて違法な斗争を実践指導し、業務の正常な運営を著しく阻害し、公衆に多大の迷惑をかけた。」という理由で、昭和三六年四月一〇日、いずれも懲戒免職処分の発令をしたことは、当事者間に争いがない。

そこで、原告等の上市、下市両郵便局における行動の違法性について検討する。

我々が地方の手動局で市内通話をかける場合、対話者がなかなかでてこず、それが交換手の繁忙さのためであつても、申込者たる我々にとつては交換手の不親切さ横暴さによるものと感ぜられしばしば不愉快な思いをさせられたり、或いは、市外通話を申し込んでもなかなかつながらず、一、二時間の待ち合せは普通のことであり、時には四時間も五時間も待たされることが多くて緊急の間に合わず、勢い急行・特急を利用すると、後で高い電話料の請求に驚くことがあり、又、電話の架設を申し込んでも何年間も放置され、忘れた頃になつてやつと電話架設の工事が始まつたりすることのあるのは、経験上明らかなところであるが、他方、世界主要各国における電話は、益々進歩して、自動化・即時化、全需要の消化等電話施設の近代化への趨勢はめざましいことであることも公知の事実である。我が国においてもその例外ではあり得ない筈であり、国民の要求も、電話の全自動化・全国一体の即時通話化・各戸に一台低料金の電話の架設等にあり、国民の必需品としての電気通信の拡大合理化は緊急の必要事であるといわなければならない。現今巷間では、電話が高額な取引の対象とされているけれども、そのこと自体我が国の電話施設の極端な不足を示す以外の何者でもなく、将来、電話が電気・水道・ガス等と同様に取引の対象とならなくなることこそ、国家は勿論電々公社及びその職員の達成すべき使命であると言うべきである。従つて、電報電話の業務に従事する労働者をも組合員をしている全逓が、電通合理化に反対し、地元民の意向をも無視した上、上市。下市両局の電話の自動改式阻止斗争を強行したことは、一面において文明の流れ世界の趨勢に逆行するものであつたと言われても仕方のないところである。なる程、一般に合理化と言つても、その意味するところは必ずしも一様ではなく、経済的理由に基く労働者の解雇を伴う企業組織の改廃(下請を含む。)を称して合理化といい、又は、経済的理由に基く人員の整理だけをもつて合理化と称することもあり、或いは、技術の革新を原因とする企業設備の近代化とこれに伴う余剰人員の整理をもつて合理化と言うこともあり、若しくは、労働者の解雇ないし労働条件の低下という事実はなく、技術の進歩・需要の拡大に伴う企業設備の改善拡張を称して合理化と云うことがあると考えられるところ、前三者の場合には、労働者の解雇失業という事態が発生するものであるから、労働組合としては、団体交渉を要求し、時には争議手段に訴えても所属の組合員の地位の安全を計らなければならない場合があるけれども、最後の労働者の失業も労働条件の低下をも件わない企業設備の改善拡張の場合に、団体交渉を要求できるかどうかはともかく、実力行使をもつて企業設備の改善を阻止できるとするには相当の問題がある。本件において逓信者が郵政省と電気通信省とに分離され、後者が電々公社に改組されたそもそもの初めから、逓信省の管轄下で電報電話の業務に従事していた大多数の職員は、電々公社による事業の直営化に伴つて当然に電々公社に移ることが予定されていたものであると見るべきであり、ただ、制度上の制約から、電々公社で電報電話の業務に従事していた者を公社職員とし、郵政省管轄下の郵便局において同じ電報電話の業務に従事していた者を郵政職員として区別しているのに過ぎないのである。又、前記認定のとおり、郵政省当局は、電通合理化に関し、全逓と何回かに亘つて団体交渉を持ち、全逓に対しては、ことあるごとに電通合理化によつて人員整理失業ということはあり得ず、却つて、技術の進歩施設の改善拡大に伴つて電々公社職員の増員さえ見込まれると共に、労働条件を低下させるようなことはしないと再三言明しており、上市・下市局等関係の電々公社への転出希望者は一一〇名に達して既に転出意向調書及び郵政省に対する辞職願(辞職願といつても実質は或る国家機関から他の国家機関への配置転換に対する同意書にも類するものである。)を提出しており、この転出希望者全員が吉野・下市両電報電話局に受け容れられることになつていたものである。のみならず、自動改式によつて電話交換手のなすべき仕事の量が改式当時は相当減少し、交換業務に従事していた者が他の事務職種等に転向を余儀なくされるであろうことは推測に難くないけれども、もともと電話交換の業務は、単純な機械的動作の反復繰り返しであつて、その労働自体には必ずしもそれ程歓迎すべきものは含んでおらないと考えられるのであるから、交換職種から事務職種等への転換が、直ちに労働条件を不利益に改変するものであると断言するのは当らず、ただ問題となるのは、吉野電報電話局における従局合併の結果、附近の郵便局に勤務していた郵政省の職員が、電々公社への転出に伴つて若干通勤距離が延長される場合のあることが考えられないでもないけれども、従局合併となる一番遠い局から吉野電報電話局までの距離は直線で六粁前後のものであり、又郵政省としては、通勤距離を含めた家庭の事情・本人の希望・その他の状況を総合して、無理のない形で配置転換をするという態度を打出していたものであつて(前掲乙第一三号証、証人魚津茂晴の証言)、配転に伴う通勤関係にそれ程の不利益が生ずるとも考えられないところ、上市・下市の自動改式従局合併の結果、全逓の組合員が如何なる不利益を受けるものであるかという点については、原告等において何等の主張立証をしないのである。以上説示したところに徴すれば、全逓が上市、下市等の自動改式に反対して斗争を行うための大義名分の欠如は否定すべくもなかつた。

元来、官庁・公署の管理者は、その官庁・公署の建造物内に業務と無関係の部外者が出入するのを禁止することのできるのは、その管理者に与えられた庁舎管理権ないし業務執行権に基く当然の権能であり、管理者の禁止に違反して庁舎内に立ち入り、退去要求を受けて庁舎内から退去しないのは違法なものであると解すべきところ、本件においては、前記認定のとおり、上市・下市郵便局長及び同人から委任を受けた管理職ないし大阪郵便局の係官等が、部外者(全逓の組合員でも、当該局の職員以外の者は部外者である。)の局舎内への立入を禁止したにも拘らず、全逓の組合員以外の者も含め大多数の部外の動員者が、これを無視して局舎内になだれ込み、立退要求にも耳をかさないで電話交換室や郵便事務室その他を占拠したことは、正に違法な行為であつたといわなければならない。又、電話の自動改式のために切換作業は、電々公社に取つては、勿論業務の執行であると共に、郵便局に取つても又、業務の執行としての性格を帯有しているものであるところ、郵便局の管理者が切換作業のための要員の局舎への入局を容認している場合に、本件のように部外者の実力をもつてその入局を阻止することは、業務の執行を防害する違法なものといわざるを得ない。

本件においては、前記認定のとおり、原告槇野は、関西合対本部の副委員長として、原告堀田は上市局関係の組織ならびに行動担当の責任者として、原告田端は下市局関係の組織ならびに行動担当の責任者として、いずれも現地に赴き、共に本件斗争の最高責任者として、右のようなそれ自体違法な斗争のための具体的な計画を立案決定し、自らも斗争の現場に臨んで動員者達を指揮命令して局舎の占拠・切換作業の実力による阻止を実践指導し、もつて、違法な斗争計画の樹立並びに実行を強行したものであつて、その結果、業務の正常な運営を著しく阻害したものであると認定するのが相当である。従つて、原告等の行動は、公労法第一七条(同条が、正当な同盟罷業等まで禁止している点については問題があるとしても、少くとも本件上市・下市における合理化反対斗争が違法なものであることは前述のとおりである。)国家公務員法第九八条第一項に違反し、同法第八二条に該当するものであるといわなければならない。

原告等は、被告郵政大臣の本件懲戒免職処分は、原告等が正当な労働組合運動を行つたことを嫌悪して、全逓の団結の弱体化を図ることを目的としたものであると主張するけれども、原告等の上市・下市における行動が違法なものであることは前記認定のとおりであると共に、本件全証拠によつても、原告等に対する懲戒処分が、全逓の団結の弱体化を図ることを目的としたものであるとは到底認め難いところである。

とすると、郵政大臣の原告等に対する本件懲戒処分には違法な点はないというべきであるから、これが違法であることを前提とする原告等の本訴請求は、いずれも失当として棄却を免れない。

よつて訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 西山要 吉永順作 瀬戸正義)

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